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サイパン格安パックツアーですから、夜間の出発です。DLはすべてが簡素化されていて、経費節減をしている感じでした。機内食もこれまでの国際線搭乗経験の中ではもっとも質素でした。

指紋取りや顔写真撮影などがあり入国に時間がかかることもあって、ホテル到着は深夜になります。このホテルのロビーは屋外相当にあります。到着時は意外と風が強く4年前の冬のグアムより涼しく感じました。

起床してすぐにオーシャンビューの部屋からの眺めを撮りました。早朝であることとうす曇状態だったので海と空はそれほど蒼くありませんが、それでも「キレイ」と感激しました。

ガイドブックに載っていたエビスヤの位置を確認。このお店では後にためしにアンパンを買いました。

朝食を済ませて、通常の島内半日観光に出かけます。まずはおきまりのバンザイクリフへやってきました。快晴で海と空が真っ青です。

風が強く崖下の波しぶきが上まで上がってきます。先日行った沖縄の万座毛と雰囲気はにています。こんなきれいな海に多くの民間人が飛び込んだとは信じられません。

崖上には多くの慰霊碑が建てられています。ここを訪ねているとき、チリ地震による津波警報がでていたようでしたが、サイパンは結局何事もありませんでした。よかった、よかった。

乗ってきたツアーバスと崖の反対側に見えるスーサイドクリフです。ここからも多くの人がダイブしたとか。この後スーサイトクリフも訪れることになります。

次のポイントは、スーサイドクリフの真下にある日本軍のラストコマンドポストです。

戦車の残がいが展示されています。三菱重工製の6気筒エンジンも車両の中に残っています。

次に訪れたのは、バードアイランド。日中はそれほど鳥たちは見られませんでした。ここはかつての日本人が月見をした所とか。

お花とスーサイドクリフです。ここから多くの日本人が飛び降りたようです。崖には、アメリカの艦砲射撃の痕跡も。

バードアイランドの駐車場で見かけたハマーリムジン。車両の長さは圧巻です。

最後の訪問ポイントはシュガーキングパーク。かろうじて残されたというシュガーキングの銅像です。

サトウキビの運搬につかわれた機関車が印象的です。これで島内観光は終わりです。約3時間のツアーでした。頼むと25ドルです。

津波警報発令のため、なんと解散地点である免税店が午後1時まで閉店中。ガラパンの様子です。

休憩するところがないので昼食のためのレストラン探しです。ガラパンの中心地へ向かいます。結構閉店しているお店が多かった。津波警報のためだったのでしょうか。

ガラパンにあるマイクロビーチです。きれいです。女の子たちが海水浴をしています。

とあるホテルの玄関でみかけたリムジン。この車両もすごいです。

昼食はぼう旅行誌に載っていたお店で日本風のお弁当としました。フィリピン系の人が経営しているようでした。飲み物つきで7ドル。

サイパンの道路の様子。左奥に99セントマーケットが見えます。普通のスーパーマーケットでした。決して全品99セントではありません。

ガラパンからホテルへ向かう途中のビーチロード沿いのDFSバスからの車窓。南国らしい風景です。

ホテルへ戻ってひと泳ぎすると、夕食のBBQの時間。担当者が準備してくれています。

いよいよサンセットです。予想していたほど夕焼けにはなりませんでしたが、きれいな日没です。

ガラパンで見かけたカストマイズされたハマー。ミニカーでは見ましたが、実車ははじめて。
1日目はこれでおしまい。睡眠不足なのでちょっと疲れました。

ここから2日目です。昨日頼んだOPツアー;ジャングルアドベンチャーに出発です。写真のシボレー4WDミニバンでまわります。フィリピン人ガイドに「How many participants?」とたずねると「ふたりだけ」と片言の日本語で返事がかえってきました。貸切状態です。

まずはがたがたの山道を駆け上がって、サイパン最高峰タポチョ山へ。シートの背もたれから背中を離しておかないと身体が揺さぶられます。日米の国旗がフロントガラスに飾られています。

こんなグネグネのがたがた道を登って着ました。登り道のそばにはアメリカ人やロシア人富豪の別荘のようなものが何軒か建っています。景色は楽しめるけど街まで行くのが大変そうです。

駐車場から階段を少し登るとあっけなく頂上です。写真は頂上のマリア像と日本軍の様子を説明した案内板です。1945年7月日本軍はここからアメリカ軍の上陸の様子を眺めていたのでしょうか。

ガラパンの街が眼下に見えます。少しガスがかかっていましたが、360度サイパン島を見渡せます。

アメリカ記念公園やサイパンの港とその向こうにマニャガハ島とさんご礁が見えます。

南西方向にはサイパン唯一の湖、ススペ湖がみえます。大きな池のようです。

南方向にある、後から訪れる予定のラウラウビーチが比較的近くに見えます。山頂滞在時間は10分ぐらい。日本軍の説明案内板をもう少しゆっくり見たかった。

次に案内されたのは、いわゆる禁断の島。艦砲射撃で現在の島が陸地から分断されたとか。

禁断の島から、北方向を眺めた海岸の様子。マリアナ海溝につづく絶壁の海岸がつづく。

駐車場から禁断の島のビューポイントまではほんの少し歩くだけなので、高齢者でも楽しめます。後ろ姿のガイドさんとミニバンです。マウンテンバイクのグループが気持ちよく挨拶してくれました。

次なる訪問地は、先ほどタポチョ山から見えていたラウラウビーチ。ここにたどりつくには、鉄道跡の狭い道を通ってきました。

観光果樹園にも案内されました。パイナップルが普通になっています。

この釣り下がっているバナナを数房くれます。飲み物も出されました。

ススペ湖近くの小高い丘にある小さなサンペドロ教会にも案内されました。

ススペ湖と反対側にはタポチョ山の頂も見えます。天候が怪しくなってきましたが、通り雲でした。

最後に案内されたのは、サイパン空港の進入路近くにあるラッダービーチ。

巨岩と波にけづられた岩肌と白い砂が印象的なビーチでした。なにやらモデルの撮影をやっていました。これでジャングルアドベンチャーはおしまいです。われわれだけだったので、ホテルへ送り届けてもらいました。

日中のホテル部屋からのオーシャンビュー(その1)です。海と空の蒼さがきれいです。

日没前のビーチの様子です。これでこのサイパン旅行はほぼ終わりです。この景色も見納めです。ススペで夕食をすませ、ガラパンで最後のショッピングをしてホテルに戻りました。明早朝の出発です。
サイパン空港のDLでは、チェクインと搭乗手続きを同じスタッフがやっていました。経費節減なのでしょうが、小さな空港だからできたことか。


シャワーの出は良いです◎
リンスインシャンプー(使用感は?)、ボディソープあり。

灰皿がありました。
タバコOKですよ。
また、ポットとインスタントコーヒーあり。

ホテル内にあるマッサージ(ミラージュ)
確か、60分で$60だったような・・・
まぁまぁ良かったですよ。

ホテル前のビーチでシュノーケリングをしました。
写ってはいないのですが、戦車みたいなのが沈没している斜め右側の岩場の方が、ここより、青や黄色の魚が少しいました。

1F奥(ダイビングセンター手前)にあるコインランドリー。
約30分ほどで洗濯が終わります。


成田10:00発→サイパン14:45着 デルタ往路の機内食。ミートボールの甘酢あんかけ、卵焼き、かぼちゃのサラダ、パンケーキ。
復路はサイパン17:00発→成田19:45着の機内食は豚の生姜焼き、サラダ、クッキーでした。
往復ともに、ビールやワインなど無料。
食べれなくもないが、美味しくもない。こんなもんでしょ。
★★☆☆☆

サイパングランドH内「あおい」
疲れて外に行きたくない場合など、アラカルトでつまみながら軽く飲むのも良いかも。
日本の居酒屋感覚で飲めます。
また、定食や麺類等もありました。
もちろんビュッフェもあります。
ちなみに
アサヒビール小瓶$5
白ワイン グラス$5
一の蔵(日本酒)1合かな?2合かな? $10
★★☆☆☆

「あおい」アラカルト。
サラダ$5
ドレッシングが不味いです。

「あおい」アラカルト。
シーフードの鉄板焼き$23
イカは5mmもないほどペラペラで、値段の割には量が少ないです。
美味しいのにもったいない!!

「あおい」アラカルト。
えびフライ$5
カラッとサクッと揚がっていて普通に美味しいです。

カントリーハウス
ステーキとハンバーグを食べてきました。
写真にはありませんが、この他に
サラダ$9
ウーロン茶$3
バド$4.75
★★☆☆☆

サーロイン$12
サイパンだし妥協して、
サイパンの割には、値段も安いし美味しいです。

トゥロングス
ススペ地区のグランドとワールドの間にあるベトナム料理店。
安いし、味に癖もなく美味しいです。
しかし、とにかくボリュームがあり、とても二人では食べきれなかったです。
白ワインボトル$14.94
★★★★☆

揚げ春巻きのハーフサイズ$5.5
春巻きを野菜で包んで食べます。
春巻きは20cmぐらいあったような・・・
サックッとしていて美味しい!
このお店の一押しなんですって♪

ガーリックシュリンプ$9.94
ブロッコリーソテー$8.95

アグライアでのランチ
トリの照り焼き定食
値段は忘れました。
ここ数日、どこでも白米がかたく、ようやくここでは美味しく白米が食べれました。
★★★☆☆

「あおい」でディナービュッフェ 1人$15
刺身、太巻き、サラダ、チャーハン、天ぷら、デザート
ビュッフェの方がアラカルトよりお得感はありました。
★★★☆☆

「あおい」でディナービュッフェ
ビーフの鉄板焼きとシーフード

タコベルとケンタ
ケンタにはチャーハンのセットもありました。
★★★☆☆

オレアイビーチバー
砂浜からサンセットが見たくて行ってきました!!!
ここはローカルの方が多く、サンセットと海、そしてお酒と・・・旅行気分が味わえます。
絶対にオススメ!!
★★★★★

ナチョス$7.5
アボガド、トマト、ミート、クリームソース。
やはり、ツマミはこれでしょ。
しかしボリューミーだ。

ハウスサラダ$4.5
ガーリックシュリンプに付いてくるスープ
白ワイン ボトル$25

ジェントルブルック
ここが一番美味しかった!!!
値段も安いし、落ち着いて食べれて、また、ウエイターさんも親切でした。
グランドかワールドに宿泊する方は是非行ってみるべき。オススメ!!!
★★★★★

ハンバーグとえびフライとライス$15
これに飲み物が付きます。
私は緑茶をオーダー。なくなると何度でも注いでくれます。

チキンのディアボラ風$10
これにもライスと飲み物が付きます。

ハードロックカフェ
DFSで疲れて仕方なく入ったのですが、やはり後悔しました。
★☆☆☆☆

モヒート$10.95
レモンドロップ$6.95
お酒が強すぎ(*_*)

ビーフサンドイッチ$14.95
唯一、ポテトが美味しかった。

ハファダイビーチホテル内の「ドルフィン」
ドルフィンから見た景色です。
ここは、和食屋さんですね。
期待していたのと少し違いました。
が、ここにきて何故??って感じですが、お蕎麦、美味しかったですよ。
また、丼ぶりものなどもありました。
夜景を見ながらロマンティックにという感じではありませんでした。
白ワイン ボトル$23
★★★☆☆


DFSのヴィトンにて。
レディース・メンズ共にそれなりに品揃えがありました。
展示していない商品でも、奥から色々と出してくれるので、カタログと店員さんと相談しながら楽しく買い物ができました。
2010.2.21 visa($1→約¥93.5)で支払い。
ネクタイ$205 \19,168
サングラス$560 \52,360
左側のバック$1,080 \100,980
右側のバック$755 \70,592

DFSのヴィトンにて。
2010.2.21 visa($1→約¥93.5)で支払い。
赤のバック$455 \42,543
バックに付いているキーホルダー$135 \12,623
DFSのグッチにて。
それなりに品揃えはあるが、個人的に定員の態度がイマイチだった。
2010.2.22 visa($1→約¥93.2)で支払い。
長財布$350 \32,620

DFSのコーチにて。
品揃えはあるが、何故がテカテカ?ピカピカ?なデザインが多く、個人的にサイパン店は好みでははかった。
2010.2.24 visa($1→約¥91.6)で支払い。
ショルダーバック$284 \26,033

DFSのラルフにて。
レディース・メンズ・子供服あり。
2010.2.24 visa($1→約¥91.6)で支払い。
青レディース半そでシャツ$75 \6,870
赤レディース長そでシャツ$85 \7,786

DFSのラルフにて。
2010.2.24 visa($1→約¥91.6)で支払い。
赤Tシャツ 子供服$17 \1,557
紺ポロ 子供服$35 \3,206

ジョーテンスーパー ススペ店
食料品はもちろん、ちょっとした服やサンダル、お土産品もあります。

ジョーテンにて。
マンゴーネクター、オススメですよ。
あと、余談ですが、ここには載せていませんが、毎朝「V8」という野菜ジュースを飲んでいたら・・・お通じが良かったです(笑)
右上のおにぎりと太巻きはエビスヤで購入。

ハファダイショッピングセンターにて。
滞在中に写真真ん中のチーズスティック?にハマりました。
スティックとチーズのパックが1箱に6パック個別で入っているので、ちょっと小腹がすいた時など、食べきりサイズで良かったです。
また、味もハマったので自分用のお土産としても購入しました。
写真上 お土産用のチョコ6箱入$23.7
左下 ポッキー?? $.25
真ん中 チーズスティック? $2.75
右下 7Dマンゴーネクター10パック入$2.9
※ジョーテン ススペ店でも購入できますよ。

タウンハウスデパートメントにて。
デパートと付いていますが、もちろん、日本のデパートを想像しないように(笑)
個人的には、ここが一番気に入りました。
着替えを持っていかなかったので、ここで数枚のTシャツと短パンを購入。
Tシャツ$8、短パン$10でした。安い!

タウンハウス。
なっなんと!クロックス!
それも激安!!!
1足$6~8程度なの。
本物かぁ??と疑うが・・・
スペルもちゃんとcrocs。

タウンハウス。
値段に釣られて買ってしまった!
だってcrocsがこの値段。
左上 黒$7.99
右上 チェック$6.99
下2足それぞれ$5.99


このカクカクしたバナナは生で食べれないそうです。
食べると腹痛や嘔吐などの症状が出るとか…
なので、「生」では食べず、必ず火を通して、揚げたりソテーなどして食べるようです。
そのため、クッキングバナナと呼ばれているそうです。

これがまた、醤油に付けて食べるとイカ刺の味なのにビックリ!!
美味しいんだなぁ~~

ちょうど食べ頃のバナナも頂きました。
これも、ほんのり甘くて美味しいの。

バスでの中や、途中、止まって、この植物園の中根さんが色々と説明をしてくれます。

足が何本もあるように見える「タコの木」。
ちなみに、水辺にあるのがマングローブの木だそうです。

名前を忘れましたが、この植物は日陰を好むそうです。
なのでこの植物がある場所ではヘビに注意しましょう。
ただし、今現在ではサイパンにはヘビはいないそうです。が、お隣のグアムでは、近年ヘビ入ってきてしまったそうです。

たしか、かみの木?だったような???
この植物は、日本の和紙に似た紙が作れるそうです。

これが、ハイビスカスの原種になります。
ここから掛け合わせで、下の色々なハイビスカスへと
変わっていったのです。

同じハイビスカスでも、八重ハイビスカスもあります。
まるで、日本の桜のように八重桜と同じですよね。

サイパンのシークワーサー。
もぎ取って食べたのですが、日本のと違い、とーっても甘いの。美味しい。

見ずらいですが、グレープフルーツの木です。
これは名前の通り、遠くから見たとき、ブドウが生っているかのように見えたところから付いたそうです。
また、サイパンのグレープフルーツは一般的な楕円形ではなく涙型をしているそうです。
そして、日差しが強いため、皮が厚く実を守っているそうです。

最後にブーゲンビリア。
ピンクの他に紫やオレンジなどもありました。
ブーゲンビリアは簡単に掛け合わせが出来るそうです。
さて、問題です。
赤+白のブーゲンビリアでは何色の花が出来るでしょうか??
答え、ピンク では、ありませーん。
赤+白のマーブル模様だそうです。
このマーブル、見れなかったのが残念。。。


いつも成田空港にくるとわくわくする。
これから飛行機に乗って海外に行くと思うと、楽しくってたまらない。

搭乗口で。
ちょうど、SAIPANの文字の下が さい になった瞬間。
(どーでもいい)

デルタ機内食。
こんなものなので、飛行機乗る前に食事しておいたほうがいいかも。
おかずは、イシイのおべんとくんミートボールでした。

深夜にサイパン到着。
パームス・リゾート・サイパンの1032号室です。
部屋のバルコニーから、ホテルのプールを見てみました。
夜なので眺望がまだわからない・・・・

室内はカジュアルな感じ。
ベッドはやや固めだけど、問題なし。
枕はそれぞれ1個でした。
(ホテルのランクが上になるほど枕って増えますよね)
それも問題なし。

思ったより深めのバス。
お湯もちゃんと出ました。
ここに限らずお湯と水を自分で調整するタイプは、蛇口をまわしているうちに、どっちが水でどっちがお湯か、どっちが開くでどっちが閉めるかわからなくなりませんか?
シャンプー、リンス、ボディーソープは壁に備え付けです。
いつもはシャンプー類を日本に持ち帰って思い出の品にしてたけど、今回はなしです。
でも、エコだからこれでいい。

洗面台。
これでじゅうぶんです。
ドライヤーは壁に備え付けです。

ミネラルウォーター2本がサービスです。
気のせいかちょっとしょっぱい気がしました。
以降はミネラルウォーターは売店で買いました。

グラスもマグカップも清潔です。
インスタントコーヒーがあって、それはハングル文字のパッケージでした。
勝手にアニハセヨ・コーヒーと名づけました。

目の前のパウパウ・ビーチ。
キレイな海にテンションも上がるってもんよ。

4年くらい前に閉鎖したショッピング・センター。
廃墟のまま残っています。

朝のブッフェです。
ガイドブックやツアーのパンフレットには、レストラン『フレスク』で朝食をとありますが、
現在『フレスク』は閉鎖しています。
朝食ブッフェもランチブッフェも、『美波』でやっています。
どこのホテルのブッフェもあまりおいしくないと思いますが、ここも例外ではありません。
朝食をここでとったのはこの初日だけでした。

ホテル内のフィッシュ・ポンド。
熱帯魚、サメが泳いでいます。

DFSギャラリアの無料ショッピング・バスと
イブニング・ショッピング・シャトルの時刻表。
北回り。

エレベーターを外から見るとこう。
エレベーターは3基あります。
このエレベーター、夜はスタートレックみたいに光ってきれいでした。

古さは否めませんが、3基あって便利です。
ちなみにロビーは1階ではありません。
一番下が1階で、プール、レストラン『美波』、キヨスク。
その上が☆ロビー。
その上が4階になります。
コイン・ランドリーは4階と5階。
各2台づつありましたが、乾燥機も洗剤の自動販売機もありません。
洗剤持参で部屋で干せってことでしょうか。

部屋に戻って、またオーシャンビュー。
島がさんご礁に囲まれていて、その先の外洋が深い青になっています。
外洋の波がさんご礁で打ち砕けて、こちら側は穏やかなのがわかります。

昼はロビー階にある『コーラル・リーフ』でパンとコーヒーを買ってきて、バルコニーで食べました。
ここのパン、ふかふかでおいしいです。$2
コーヒーもおいしい◎ $4.50
今回の旅行で一番利用頻度が高かったのが『コーラル・リーフ』かも。

近づいてみました。
ピーカン晴天なり。
この青空のもと『ヒストリカル・ツアー』に出発します。
②へ続く・・・

こちらが『コーラル・リーフ』店内。
コーヒー、パン、その他いろいろあります。
毎日通って、お店のお姉ちゃんに覚えられたかも。


昨年パラオへ旅行して、太平洋戦争の激戦のことを知りました。
太平洋の島々を旅行するなら、避けては通れない過去。
それを知るために『ヒストリカル・ツアー』に参加しました。

ツアー参加者は私たちだけでした。
まずはガラパン近くの“砂糖王公園”
日本統治時代、サトウキビの栽培と精糖産業で栄えてたんですね。
サトウキビの運搬に使われた蒸気機関車です。

南洋興発株式会社の設立者である松江春次の銅像。
サトウキビ栽培と精糖が、マリアナ諸島の産業と貿易振興におおいに貢献したことから、島民は彼を砂糖王と呼んだそうです。
米軍の激しい攻撃を受け、銅像の首筋に砲弾の跡が見て取れます。

公園の奥、彩帆香取神社
(サイパンかとりじんじゃ)
戦火で一度焼失しましたが、1985年に再建されました。

こちらが御神体を祀ってあるところ。
この日のツアーは私たちの貸切状態だったので、
本来は島の南を巡るところを、
私たちの希望で北方面を行くことにしてくれました。

昭和19年
6/11.12.13と米軍の空襲。
これによってサイパンの首都ガラパンは壊滅
6/15 米軍サイパン島の南から上陸
6/19 マリアナ沖海戦で日本軍は多くの戦艦や戦闘機を失う
6/20 島の米軍が攻撃開始
6/26 米軍タポチョ山奪取
7/7.8 日本軍玉砕
7/9 多くの民間人がサイパン北端の地へ。
人々は北へ北へとジャングルを逃げていきました。
北に行っても海しかないことはわかっていても。

“プンタン・サバネタ”(バンザイ・クリフ)
北端に追い詰められた日本将兵も民間人も、米軍の降伏投降の薦めにもかかわらず、次々と自決あるいは断崖から身を投げました。
戦争にもルールがあるなど誰も知らない。
捕虜になったら処刑か辱めを受けると思い込まされていたのです。

母親はまず泣き叫ぶ我が子を落とし、続いて自分が身を投げました。

今日の平和は、多くの人々の犠牲のうえに建っていることを忘れてはなりません。

数々の慰霊碑。
サイパンの在留邦人は本土への疎開を求めても、もはや船もなかったそうです。
かりに船を見つけても、空爆や潜水艦の攻撃にさらされる状況。

“バナデロ”(ラスト・コマンド・ポスト)
なかったのは船ばかりではなく、武器も弾薬もなかったそうです。
それに優秀な技量をもった兵士もほとんど戦死していて、このころ戦地にいた日本軍は素人集団だったようです。

TVや映画で見るアメリカの戦車って大きいので、この戦車を見たときは、その小ささに驚きました。
鉄板も薄いです。
これでは戦車の中はさぞ暑かったことでしょう。
今は朽ち果てて戦車の間から、草が生えていました。

水も食料もなく、写真の植物が日本のサトイモに似ているので食べた人もいたようです。
しかし、これにあたって嘔吐や下痢をおこしたそうです。
触るとかぶれます。

激しい爆撃の跡が残るラスト・コマンド・ポスト内部。
だれかが供えた日本酒とお線香の跡がありました。

ラスト・コマンド・ポストを出たところ。
連合艦隊が壊滅し、もはやサイパンを守る手立てもなくなり、サイパンは見捨てられたのです。

民間人が身を投じたのは先ほどの岬だけではありません。
岬の後ろにある断崖絶壁。
“ラデラン・バナデロ”(スーサイド・クリフ)
ここに車で上ってみました。

スーサイド・クリフから岬の方を臨む。
ここまで波が砕ける音が風に乗って聞こえてきます。

もうひとつのポイントへ移動。
日本人のほかに、韓国のかたも来ていました。

ここから身を投じて途中木の枝にひっかかり、アメリカ兵に助けられた女学生もいたそうです。

スーサイド・クリフを降りる途中。
遠くにマニャガハ島が見えました。
海上に浮かぶ絶好の射撃目標であったことから、早々に艦砲射撃を浴び潰されたそうです。
今ではマリン・スポーツのメッカです。
平和な時代だからこそ、こんなふうにリゾートとして楽しめるのですね。
ツアーは現代のサイパン観光スポットへと続きます。
③へ・・・

十字架と観音様というめずらしい組み合わせの像がありました。
サイパンの激戦で出た多く犠牲者は数万人にのぼります。
チャモロ人、
カナカ人、
日本の一般市民、
日本の企業によって連れてこられた朝鮮人、中国人、
日本とアメリカの軍人、
国籍と宗教のいかんを問わず、亡くなられた霊を慰め、
二度と愚かな過ちを繰り返さないよう、平和を祈念しているものです。

サイパンの島は多くの遺体で埋め尽くされ焼け野原になりました。
遺体を埋め尽くすように米軍は島中にタガンタガンの種を散布しました。
散布した理由は諸説言われていて確信がありません。
この群生によってサイパンは緑の島になりました。
繁殖力が強く成長も早いタガンタガンは、もともとサイパンにはなかった植物です。
きっと生態系に影響を及ぼしているだろうな。


上からグロットを臨む。
ガイドさん「まぁ、きょうはほんとに天気が良くてグロットも青く輝いているわ!」
んー・・・上からみてもわからないなぁ。
ガイドさん「もしよかったら、階段で下まで言って来てもいいですよ。」

ここがダイバーあこがれのグロットか。
足元に気をつけながら階段を降りていきました。

海からあがってきたダイバーと
これから飛び込むスノーケラーとで
エントリーする岩場は人であふれています。
右側は穏やかな場所のようです。
グロットの波が伝わる動画はこちら
見たらこのページに戻ってきてね。
http://www.youtube.com/watch?v=z-mZ5okmHvU

いつかは潜ってみたい♪
グロットへのあこがれを抱いて、
さぁ帰ろうと振り向くと
おぉー、降りてきた112段の階段が
壁のように立ちはだかっているではないか!
なんとか登りきりましたが、
最後のほうは、上半身と太ももがくっつくような体勢で、ほとんど這っている状態。
ダイビングの器材を背負って登るなんて
私にはそんな体力ありません。
(さっきのあこがれはどうしたよ)

“イスレタ・マイゴ・ファハン”
(バード・アイランド)
早朝や夕方にはたくさんの海鳥たちが集まるそうです。
日本統治時代は“月見島”といいました。

ガイドさん「よかったら階段で下まで降りてみてもいいですよ。」
その厚意はうれしかったのですが、何しろグロットの次だったので
「も、もう、階段はいいです・・・」

これでヒストリカル・ツアーはおしまいです。
本来はホテルに戻るところですが、
これまた私たちの希望でDFSギャラリアまで乗せていってくれました。
向かう途中、スクールバスが。
ハワイと同じ黄色です。
追い越してはいけないのも、同じです。

DFSギャラリアのツアーのツアー・バス駐車場の目の前。
『ダブルレストランⅡ』
ここで、早めの夕食をとりました。

暑かったし、階段も登ったし、
きょうは思ったよりも汗をかきました。
まずは、アサヒ・スーパー・ドライで一杯。
「ぷはーっ!ヤバイこれ。」
スーパー・ドライがこんなにおいしいと感じたことはありません。

海鮮あんかけチャーハン
◎
たしかメニューには牡蠣のなんとかチャーハンと
書いてあった気がしますが、
牡蠣が入っていないので勝手に海鮮と改名しました。

DFSギャラリア・無料シャトルバスで
パームス・リゾート・サイパンに戻ってきました。
これが、夜のエレベーター。
スター・トレックみたいでしょ。
(どういうのをスター・トレックかという定義はありません。イメージです。イメージ。)


待ちに待った体験ダイビングです。
昨年のパラオで初スノーケリングして以来、
水中の世界にハマっています。
お世話になったのは、パームス・リゾート・サイパン内にあるダイブショップ『S2CLUB』です。

ここでインストラクターから説明を受けました。
私たち以外にもお客さんはたくさんいましたが、
私たちのグループは私たちだけの貸切状態でした。

1本目、ホテル前のパウパウ・ビーチ。
はじめて器材を背負ってビーチまで歩きました。
予想外の重さにヨロヨロ。
身長が縮んじゃうよ~(汗)
ここからビーチ・エントリーです。

はじめての体験ダイビング。
魚を見る余裕なんかありません。
藻だらけのロープを見つめて進むので精一杯です。
写真を撮る余裕なんてあろうはずもない。
写真はインストラクターにアシスタントでついていた研修生が撮ってくれました。

ダイビングの器材は見るのも触るのも初めてです。
最初にダイビング専用プールで講習をうけました。
もう、緊張でガッチガチ。
マスククリアも何回目かでやっとOKがでました。

懸命にロープにつかまりながら
ミスジリュウキュウスズメダイ
来い来いとソーセージあげています。
目の前にこんなにサヨリがいたのに、
全く気がついていません。

潜っていたときは、もっと深いところにいると思っていたのですが、
写真を見ると浅かったんですね。

遠く上のほうに
バラフエダイが泳いでいます。
深呼吸をしたら楽になって周りを見る余裕もでてきました。

今が一番深いところ(7m)
インストラクターの説明に心の中で
「ひぇ~」
と叫んでいます。

研修生からカメラを手渡されて、
うっかり両手をロープから離したオット。
あやうく、さようなら~と行ってしまうところでした。

陸に上がり、ウェットスーツを脱いで、ふぅ~です。
まだちょっと船酔い状態。

私は気持ち悪くて、海岸で呼吸を整えるので精一杯でしたが、オットはちゃんとラウラウ・ビーチの写真を撮っていてくれました。

今回の体験ダイビング、私たちだけでよかった。
じっくり教えてもらえたし、
研修生がカメラ担当してくれたおかげで、
写真もいっぱいとれました。
早くシャワー浴びて休みたいです。
⑤へつづく・・・

ダスキー・アネモネフィッシュ
流れがあったのでうまく撮れません。
わたしの名前のクマノミなのに・・・

ピースサインしてますが、実は不安で半泣きです。
緊張と不安からか、ウェットスーツがきつかったのか、波に酔ってしまったのか、
気持ち悪くなったのでちょっと休憩です。
意識的に深呼吸をゆっくり繰り返しました。


成田より、デルタ航空にてサイパンへ!!
飛行機、ち、ちっちゃいけど。。。。。?!!!!
め、めっちゃ古いけど。。。大丈夫!???汗。
トイレのドア、ちゃんと閉まらないけど。。。?
みたいな感じでサイパン着(笑)
めっちゃ揺れました(笑)無事に着いてよかった。
ホテルは最北端に位置するマリアナリゾート&スパ!
ネットのクチコミが良かったのでここにしてみました。プールサイドでパチリ。
第一印象、人、居ないけど大丈夫!?なんかプールも寂れてるけど!???

とりあえず、着替えて♪
ギャラリアの巡回バスにて、ガラパンへ!
1時間に1本、バスがホテル~ギャラリア間のバスがでております。

着いたのは夕方4時過ぎだったので、今日はガラパンへ行ってお買い物の下見♪
ギャラリアチェック!!!
夕飯はハードロックカフェにて♪
ボリューーミーでアメリカンなごは~ん♪海外来たな~ってかんじ。
25ドル以上飲食すると、ハードロックのギフトがもらえるとかで、交換してもらったら、ちっこいキーホルダーでした(笑)
この日はIラブサイパンショップで細々したキーホルダーや、Tシャツ、ABCにて水などを買って、帰宅。

2日目の朝、起きたら・・・・
ん??
なんか目の前をアリンコが通りかかったぞ・・?
ん!????
もう1匹??
シーツにも!??掛け布団にも!???
無数のアリンコが!!!!!!!!!!!
1匹2匹のレベルじゃないです。何十匹のレベル!!
ぎゃああああああ!!!!!
即効、旅行会社へ連絡。
メイドさんに来て貰って、シーツその他交換。アリよけスプレーして、ほうきではいて。。
なんでアリが出たのか、1階の部屋だからなのか、聞いたら、スイーツだと。キャンディーだと。私達、水以外飲んでいないというと、前の客が食べたんじゃないかと。シーツ変えてもらって・・・・まだ湧き出てくるアリ。。。。。旅行会社さんに部屋、変えてもらいました・・・
もう、気持ちワルイのなんのって!!(本音)
・・・気を取り直して、現地の人、お勧めのパウパウビーチへ!!
めっちゃ綺麗~~~~~~~~♪

場所はマリアナの隣のホテル(パームリゾートホテルかな?)から歩ける距離!
パブリックビーチなので、デッキチェアーも無料♪
人も居ない~~~♪
海水も、透明度120%!!!!
ただ、岩場やサンゴが多いので泳ぐにはあまり適してないかな?シュノーケルしてる人がいたから、シュノーケルにはいいかも♪とりあえず、静か。

こ~~んな感じで、ほんとに人がいなくて静か♪
スナック食べながら、昼寝しながら、本を読んで、午前11時~午後3時位までゆーーーっくりして、ホテルへ帰る。
帰ったら、代わりのお部屋が角部屋のファミリースイートに!!
ベッド4つ(笑)トイレ2つ(笑)
広い。。♪
けど、古さは一緒~♪カビくさい~♪

シャワー浴びて、着替えてガラパンへ!
朝からお菓子しか食べてないからおなか減った!!
「揚子江」という中華料理屋へ。
ムール貝蒸し、美味しい♪
他、海鮮スープ(塩を入れると美味)、普通の炒飯(フツー)、牛肉のオイスターソース炒め的なもの、(美味しい)を注文。
ムール貝美味しかった。

3日目の朝
今日はアリンコでなかった~(笑)
朝兼昼食にマックへ♪
ギャラリアからちょっと歩いたところ、ガソスタと併設されてるマックへ~♪

ラグーンみたいになってるんだけど、ここもすっごい海水が綺麗で、すぐそこに小さい魚がいっぱい泳いでいた!

そして、マイクロビーチへ!!!
きた~~~~♪
ここは透明度はパウパウビーチに劣るけど、岩とかサンゴとかなくて泳ぎやすい♪

「SAKURA」という会社の現地の方が、熱心なセールスをしてきます♪
空いていれば、デッキチェアも無料で貸してくれます。
35$のジェットスキーを30$+パイナップルジュースつきにしてもらって、ジェットスキー!

15分くらいかな?
三角コーンを拠点に運転できます。
楽しかった~♪

マニャガハ行きの船とかも、安く乗れるみたい。
パラセイリングも40$だって。PDIは60$だった。
私達はPDIで予約してしまった後だったから、無理だったけど。
夜の勧誘がしつこかったので、即席レズビアンになりきり、振り払いました♪wwww

そして4日目は朝8時15分、ホテル前集合にてマニャガハ島ツアーへ!
マニャガハエクスプレスは9時、ハファダイホテル発の予定でしたが、9時15分位になって、やっと出発。45分待ったし。。
PDIツアーとかの大きいとこじゃなくて、ちっこいボートで少人数で行くのもいいかもね。

マニャガハものすっごい綺麗~~~~!!!!!
やばいです。ホント、サイパン来てよかった。
マニャガハ島では、パラセーリングと、シュノーケルをしました。
シュノーケルがほんとに良かった(涙)
海ってあんなに綺麗なんだね。
感動~

13年前に来た時は、ほったて小屋しかなくて、水も自分で持っていかなきゃ、売ってなかったのに、レストランもあるし売店もあるしで、すごい開発されたんだね~
ココナッツカレーホットを注文♪
結構、辛かった!!でも、海で食べるカレーは美味しい。
サイパン島にしかないというフルーツ、サワーカップのアイスクリームも美味しかったよ!

ガラパンへ戻り、ABCストアにてフルーツやサラダを買い、この日はホテルでカップラーメンで夕食を済ませました~!
ギャラリアからホテル間のバスはやっぱり1時間に一本しかなく、その他に、これまた1時間に1本ショッピングバスというのに5ドル払えば同じルートで帰れます。
ガラパン近くのホテルの人は徒歩で歩けるから、関係ないかもしれないけど、マリアナとかアクアリゾート、Palmリゾートホテル(旧日航)の人は1時間に1本のバスに乗り過ごすと辛いよね。
バス賃は、ショッピングバスの運転手の機嫌により、2ドルになったり1ドルになったりします。ギャラリアバス乗り過ごした時は、とりあえずショッピングバスに乗ってみて、運ちゃんに料金を聞いてみるといいかも。
噂のウィンチェルズのドーナッツも買ってみた!
中にカスタードクリームが入ってるのが良かったので、この一品をセレクト。
やっぱり甘くて、3分の2しか食べれなかった~♪

そして3日目の夜は、19時からホテル自慢のマンディスパへ♪
ベーシックなオイルマッサージのコース50分、90$を予約済み!
マッサージはなかなか上手かった。
脱衣所、パウダーコーナーは、床はべちょべちょ。ちょっと下水道臭い。清潔感はあまりなし。
でも!!
外の星空を見ながらのお風呂はサイコ~でした!!

マニャガハ島とは、15時半発のマニャガハエクスプレス最終便にてお別れ。
PDIの一番早い船で来て、一番遅い船で帰ったけど、それでも時間は足りなかった~!
ホテルへ帰って、身支度をしていると、窓の外にはサンセットが!!!
綺麗でした

そして!
最終日の夜はハイアットでディナー!!!!
テンション、あがるあがる!!!(笑)
やっぱり、ラグジュアリーホテルっていいな~ぁ
シンプルホテル滞在だったから、その良さがいつもの数倍、感じられた(笑)すてき~

35$でアイスティー飲み放題のシーフードビュフェ♪
こんなに大きいエビも食べ放題ー!

生牡蠣だって、ムール貝だって!
ビュッフェです♪
デザートも豊富でした。
35$でこの質だったら大満足。

食後、ルンルンで、ギャラリアへ。
最後のお買い物~♪
そして、ギャラリア―ホテルの巡回バス最終便に乗り遅れまいと時間7分前にバス亭へ急ぐ。
悲劇はここから・・・・!
なんと、出発時刻5分前にバスが定員になり、乗車拒否をされる。前日、定刻のバスが定員オーバーになったら係りの人が「もう一本バス来マスカラ~!オマチクダサイ~!」ゆうて、もう一本バスが来たので、来るだろう思って待っていたら(というか、乗車拒否されたから)
「もうバスナイヨ~!タクシー!」
は????!!!!!
え?!
バスこないの???
係りの人に聞くと、「モウバスナイ。タクシー。」一点張り。
ギャラリアで買い物しましたけど?
出発時刻前に来ましたけど?その時、ギャラリア内の日本語アナウンスで「バス、最終便まであと5分です。お乗り遅れのないよう・・・」というアナウンスが入ったにも関わらず、バス、来ず。
係員に問い詰めるも「モウバスコナイ。」
私達以外にも、バスを待っている観光客は10数人。
何で来ないか聞いても応えない。日本語話せる人間を呼べといっても、呼ばない。
みんなギャラリアで買ったブランドバッグ持ってるのに・・・バス、来ず。
20分ほど戦いましたが、これ以上無駄だと思えたのでタクシーで帰ることを決意。いくらか聞くと、「24ドル」
マリアナはギャラリアから車で15~20分はかかるのです・・・
値切って15ドルにしてもらって、ようやくホテルへ。そしたらルームキー開かない!!!!(笑)
フロントに行ったら、ホテル側のミス。謝らない、ホテルの受付(笑)
どっと疲れた最終日の夜。。
次の日、ギャラリアのバスの件を旅行会社に伝え、ギャラリアに言ってもらったものの、タクシー代は返ってこず。ギャラリアからの謝罪はもちろん、なし。
これがサイパンクオリティ!!!!!!(笑)
みなさんも気をつけてください。
あり得ます。
全然、あり得ます。

5日目の朝はホテル内の12ナイトレストラン?で、ランチビュッフェを食べて帰りました。
品数は結構多くて、味もまぁまぁでした。
アリンコ事件、ギャラリアバス事件、、、ホテルのフロントの対応も決して良いとは言えないものでしたが。。。。(笑)
いろいろあったものの、それでも楽しい思い出となったのは、やっぱりサイパンの海の綺麗さがあったから。
また、絶対、来る♪


関空到着
カードラウンジでコーヒー2杯
夜だったので 私たちだけ

機内食はBeefをチョイス
お肉柔らかくて 美味しいぃ~
そして完食

約3時間のフライト
サイパン国際空港到着ですが 同時刻に中国のジャンボ機も到着だったので イミグレはすごい人、人、人
通るのに2時間はかかりました
ぐったりです(涙)


朝!
なんとか部屋から海が見えます
ベッドがしっとりしてて 気持ち悪くて
寝れなかったから つらい~

廊下側から
目の前がDFSで 立地は最高!
今まで来た中で 一番便利

ダイビングは昼からなので さくっとホテルの近くを
流します
ホテル隣のハファダイショッピングセンター

大きなスーパーで 毎日のビールなどはここでGet
安いし なんでも揃います

ロビーから出て ビーチへつながる散歩道
リゾートだわぁ~
気分はトロピカルぅ

本日お世話になる S2 Clubのショップが入っているホテル
前回来た時は 日航ホテルだったけど・・・
今は 違うホテルになってました

中心地からは離れているけど 静かでいいホテル
でも 日本人は見かけなかった
プールサイトにいた人たち
ほとんどが中国人でした
恐るべし 中国パワー

S2 Club サイパン店
設備もバッチリ 2回目のご利用です

器材を詰め込み
インストラクター ショーンさんと色々相談して
今日は ビーチダイブ2本です
出発~

ショーン!!
待ってぇ~
ポイントまで 器材背負って歩きます
相棒は ひ~ひ~ 言うてました

指をこすりあわすだけで
魚が寄ってきます
餌もらえると思うのかしら?

おっと 方向変換して こっちに向かってきた
ビビってる私に フレンドリーなカメ?!

ダイビング予約時に行き違いがあり
ボートダイビング希望だったのが 時間的に
ビーチと言われ がっかりしていた私たちに
ビーチでも楽しいこといっぱいあるからと
一生懸命 楽しい思い出を作ってくれるショーンに
感動しました


これは 第二次世界大戦中に使われていたパイプだそうです
確かにサイパンのあちこちに
未だ 戦争の足跡

ゆっくりリラックスしながら
とっても楽しい2ダイブでした
ショーンさん ありがとう!

ショップへ帰ってログ付け
隣では OWの講習
インストラクターに「分かります?」
なぁ~んて 突っ込まれたが
すっかり忘れてる(笑)

楽しいダイビングタイムも終わり
ホテルへ戻ると ちょうど夕日がきれい

さぁ~ シャワー浴びて ご飯!!
お腹すいたぁ~
朝 パン一個食べたっきり

ダイビングのインストラクターのお勧めレストラン
炭焼 ココレストラン
ホテルから歩いて5分
まずはサラダバーとビールで乾杯

半分飲んじゃったけど
コースに付くカニのスープ
これカニエキスたっぷりでかなり美味しかった

じゃ~ん!!
ステーキコースのメイン登場
でかっ
味はその辺に置いてある ガーリックやペッパーなんかで自分で味付け
和牛に慣れてる私には やはりアメリカのBeefは硬くてスジばってる・・・

相棒が頼んだ チキングリル 2枚です
なんせ 豪快ででかい
チキン一枚とBeef半分と仲良く交換して
両方楽しみました
私はチキンのが好きかなぁ~
ってか 明日も夜はバーベキューだった

さて 夜はショッピング
まずはお土産を探しに
ホテル斜め前のStar Sand Plaza
ここは安かった

くまさん達がお出迎え
Bo-Jo-Boのストラップと姪っ子のサマードレス
チョコレートなどなどGet

次はABCストア
明日の朝ごはんとドライマンゴーなどなどGet

そして ハファダイショッピングセンター
肉の塊
アメリカっぽい

荷物をホテルに置きに帰り
今度は向かいのDFS
サイパンダ~

カルチェの前には キレイなお姉さんが
台の上に立ってます
スタイル良くてかわいかった
これ 立ってるのが仕事なんよなぁ~

ショッピングの後はエステ
Pure Spa
ネットで探してあらかじめ予約しておきました

レセプション
タイマッサージなんかもメニューにあるせいか
男性のお客様が多かった
深夜2時まで営業で ホテルまでピックアップもあるので 便利


プライベートなら もぅ少しゆっくりしたいよなぁ~
社員旅行だから仕方ない

9:30ホテルピックアップで
今日はアミーゴで頼んだ マニャガハ島ピクニック
ネットで見つけた アミーゴ
パラセイリング、バナナボート、マニャガハ島送迎、ランチ付きで60ドル

激安でしたが 問題なし
まぁピックアップからマニャガハ島まで1時間以上かかったが・・・・
行きはボート
帰りはバナナボートらしい

上陸して30分ほどしたら
お次はパラセイリング
桟橋まで行って ボートです

え~
グアムでパラセイリングした時は ベンチみたいなので とっても安定してたのに・・・

ガジュマロの木?!
この前で写真を撮ると 一生神様が守ってくれるらしい

島めぐり2周目
小さい島なので1周が15分程度
また なりきり~

さぁ~ 楽しい時間もそろそろ終わり
マニャガハ島を後にします

お決まり 最後は振り落とされます
海に落ちた時 誰かの足が私の肋骨に直撃(涙)
全治4週間というところでしょうか・・・(苦笑)

そんなことにもめげず 戻ってきたら
お次は ジェットスキー
結構 スピード出て楽しかった

マニャガハ島からホテルへ戻り
最後の夜は全員で ビーチバーベキュー

グランドホテルの海と星空のバーベキュー
一人29ドル(ネット予約価格) ココっ夏通信にて

食べてる間 このお二人がずっと唄ってくれます
バラードでは なんだか感動して涙が出そうになりました
ノリのいい曲はみんなで歌ったり とっても盛り上がります

シーフードが最初に出てきました
ビーフとチキンが後からでました
食べるの必死で写真なし

テーブルごとにリクエストを聞いてくれます
私たちはエリッククラプトンをリクエスト
笑顔がとっても素敵なお二人でした
楽しい思い出をありがとう

楽しい宴の後は 出発時間まで ホテルのエステ
ラグーンスパでシロダーラ
クリスタルタワー8Fです
受付はロビーにあるので予約しやすいし
ネットでクーポンをプリントアウトして持って来てたので 20%Off価格
タイでシロダーラしてもらってから ちょっとはまってます

乗ってすぐ爆睡してたが
機内食になると 何故か目が覚める
どこまで食い意地はってるんやろ?!
スタッフみんな楽しめたようで それが一番のお土産
来年は香港
一年頑張って働きましょう!
長々と読んでいただいてありがとうございました


サイパン到着。
あちこちに咲いているきれいなお花をみて
南国に来たんだなぁと実感した。

やさしい風が頬を撫でた。
静かなSUNSETを眺めていたら、心が穏やかになった。

静かに流れる雲。
ビーチの木陰でごろごろ。
やしの木がざわざわ。

ケータイはスーツケースの中で眠ったまま。
そんなサイパンの日々。


マニャガハ島へ
ホテル前から貸切バナナスピリッツでGO~
白い砂浜に透き通る海に癒される~

ハイアットのランチビュッフェ☆
一番おいしかった食事かも☆
ドコモユーザーの方なら日本でプレミアクラブのクーポン画面メモしていくのをオススメします。
10%OFFになりますよ~♪

サイパンのDFS。。。覚悟はしてたけど。。。今までで一番のしょぼさ。。。笑
ま~買い物目的でサイパンにはいきませんのでこんなもんかな。
でもでも1ドル89円なら何か買わなきゃとプラダで一目惚れのお財布ゲッツ♪
4万ぐらいで大満足。


ハファダイビーチホテル前からマニャガハビーチ行きの船が出るところ、、、
だと思う…。
船にはそうやって書いてあるし。
ハファダイビーチホテル前、デッキチェアーより撮影

ハファダイビーチホテルのプール周りの木たち。
南国~♪
日中は風が強く、
木々が揺れてさわさわと音がしてたのでした。
サイパンも今は冬なので
夜は長袖でも(私は)寒かった…

アンガスビーフバーガー
・デラックス
・ベーコン&なんとか
・マッシュルーム&チーズ
の3種類あって、これはデラックス
(デラックスは、生野菜入りだった)

お土産用のマンゴーネクター
ちょっと凍らして食べるとおいしいのです☆
ひと箱に10個入って
$3以下!お得ね~♪

成田空港 南ウィングのANA HOUSEにて
自分用に…。
ファイブハーブス リペアリングヘアセラム♪
ミストと悩んだけど、店員さんのお勧めでこちらに。
あまーい香りが、いいっす!
オリーヴツリー オーガニックハンドクリーム♪
国内未発売商品。しっとり系でシアシリーズより軽くて
しょっちゅうつけたくなる感じ。。
機内で使うようにちびっこシアもね!
ANA HOUSEはマイルがたまるお店なので
いつもはずしません!
それにカード提示で10%オフにしてもらえます♪


アシアナ航空。
CAは綺麗で笑顔で素敵。
韓国人好きになりました☆

ホテルはフィエスタ。
今日から私のお部屋です♪
マンションみたい。

歯ブラシがイマイチなんで、結局自分で持ってきたやつ使いました。

朝です!街が見渡せてなかなか好きでした。
2日目の夕方はイスを外向けにして、
この景色を見ながらおにぎりをムシャムシャ。

朝の散歩はマイクロビーチ。
ゴミは持ち帰りましょう。
話かけられたんで、なんかジックリ見れなくって
あんまり覚えてない汗

ビーチでプロちゃん?にもらいました。
写真も撮ってくれてありがとう!

ウィングビーチ貸切!
波があったので、ややビビリ。
でも、青い海!青い空!白い波!
これぞ、南の島って感じで大好きな風景です!

オブジャンビーチほぼ貸切!
二日目です。本日も快晴!!
このビーチではいかにも南国の魚!
って感じのカラフルな魚がいっぱいいました。

外洋。
不思議な青さ。
今まで海怖いとか言って何も見ようとしてなかったけど、なんて勿体ないことしてたんだ。
なんか吸い込まれる美しさ。

息をするのも忘れるような・・。
・・ぐっ・・ゴホ!!
呼吸はちゃんとしましょう。

ヒマワリホテルのおにぎりと手羽先。
お昼にヤシダイブさんと買いに行って、
あまりの美味しさに晩ご飯にも、と買いに行きました。
犬に吠えられながら泣く泣く到着。
民家側は歩いてはいけない。

超かわいい!!
ミーハーだからサイパンだグッズ色々買ってしまった笑
ブランドショッピングはグアムには劣りますよね。。。

噂のクラムチャウダー。
客がいないのを見はからって入店。笑
が、失敗。
前の客が頼んでる間に、メニューを確認。
サイズが二つある・・!?(どうやって頼む!?)
クラムチャウダー
スモール!(結構でかいし)


2010年2月3日、8:49:18
タポチョ山山頂にて
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サイパン/テニアンの旅で思うこと
一昨年の平成20年10月にぺリリュー島へ旅をしたのが太平洋戦跡巡りの初回だった。その時は分からなかったことが、今回の旅を前にしての勉強で少し知識は増えたのは確かだ。
でも、まだまだ断片的で乏しい知識に基づいての理解にしか過ぎないので、今後、あらたに自分の知識が増えることによって太平洋での日本軍の戦いを自分なりにどのように今後評価し理解し得るのか?
未だ知らないことばかりが多すぎるが、今の時点での自分の思いを以下に記す。
まず、つい最近今年1月半ば頃に{チャネル桜『報道ワイド日本』米人から見た「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか? - 茂木(もてぎ)弘道氏に聞く}を見て目から鱗が落ちた。
まず茂木さんは『日本は太平洋戦争に負けたが、大東亜戦争に勝った』と言われた。結果はアジア解放に繋がり白人列強の植民地支配を終焉に導いた。
日本に白人列強と違って聊(いささ)かの野心もなく掲げた大儀と正義が全て純粋だったとは思わないが、それでも結果は日本の掲げた大儀を実現させる大いなる要因になたことは確かであり、私も心底そう思っている。
米人が書いた本を翻訳された茂木さんの話を興味深く聞いた。そして茂木さんの話しを聞きながら日本の敗戦の原因が自分なりにはっきりした。それは帝国陸軍と海軍との戦略眼の違いであり、海軍の戦略眼の無さによって太平洋の戦いでの惨敗を招き日米決戦に敗れた。
話しを聞けば頷くことばかりだった。
東条英機を代表とする陸軍は東南アジアでの緒戦の圧倒的勝利に、そこでの日本の地盤を固めそれ以上の南への戦線拡大の戦略を持っていなかった。そして、インド洋を押さえ英米からの蒋介石援助ルートを封鎖し、支那戦線での勝利を含め堅実な戦略を持っていた。
海軍の稚拙な戦略性なき戦線拡大が、逆に米壕からの戦場に近く日本から遥か遠くなり、その結果、日本は不利な戦いの場に自らの身を置く嵌めになり、なし崩し的に日本軍は敗走の道を辿った。そのことを著者である米人も見抜き、茂木さん自信もそう考えているようだ。
聞けば聞くほど成る程と思う。私もペリュリューに行き、今度サイパン・テニアンに行くにあたって太平洋の戦いのことを少しは知り、今は海軍の無策無謀が苛立たしく思うようになっている。
恥ずかしながら、最近になって“ラバウル”があんなに遠いところにあると初めて知った。ガダルカナル・ポートモレスビーがあんなに遠いところにあると初めて知った。
パラオ・サイパン・グアムを含む南洋諸島を要塞化し防備を固めていさえすれば、容易に米壕に負けることもなく常に優位に戦えただろうということは地図を見れば分かる。
南洋諸島は浮沈空母だらけであり、ここを強固な要塞島としておけばである。ああ無念なり、当初の陸軍の戦略の方が海軍が行った戦法よりも遥かに的を得たものであり現実的に勝利への道でもあった。
そして茂木さんが最後言ったのは↓
『反省と言うのは“すみません”と言うのはもう一度謝っているだけで、毎年負け続けているだけのことだ。謝ることではなく、どうやったら勝てたのか?と、考えることである』
詳しくは以下のチャネル桜『報道ワイド日本』を見ていただけば分かる。
【茂木弘道】「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか?
http://www.youtube.com/watch?v=LdkEdHzvKCc
地球史探訪:「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか?
http://archive.mag2.com/0000000699/20100207080000000.html
↑国際派日本人養成講座:伊勢雅臣氏が解説されている。これを読めば日本人なら「目から鱗が落ちる」こと間違いない。是非、必読あれ!

2010年2月3日、8:47:46
タポチョ山より北(バンザイクリフ)方向を写す
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サイパン玉砕と「戦陣訓」に思う
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」
「戦陣訓」は、上記の一節が軍人・民間人とわずに戦時中の日本人の「無駄死・犬死」に繋がったかのように非難の象徴ともなっているが、私は「戦陣訓」は上記の一節を含め日本人として肝に銘じる内容だと思っている。
戦後に生まれ今を能天気に生きる私に、残念ながらその実践は不可能だが、当時、それを成した日本人は軍人・民間人問わず偉かった。ただただ彼らの崇高なる行為に万感の敬意を表す。
当時を想像すれば、当然だが今とは違う世界があり日本があった。
世界人口の40%である白人列強が世界を牛耳り、60%の有色人種国家の大部分は白人列強の植民地国家として搾取され続けていた。それが世界の道理であり、日本以外の有色人種国家は、その世界の体制が転覆できるなど夢想だにしなかっただろう。
生まれた時からそうであり、大人になってもそうであり、過去もそうであったなら・・・民族自立・独立国家への道など考えようもない。そんな時代に、日本は明治維新を経て白人列強国家に割り込むように台頭して来た。そして白人相手に人種差別撤廃を訴えた。
その現実を想像すれば、大東亜戦争に繋がる運命は世界の歴史の宿命の如く、避ける事が出来ない必然だったろう。そして、日本人はその白人列強相手に立ち上がった。米英蘭豪などの連合国を相手に怯むことなく戦端を開いた。
確かに戦争は「精神主義」だけでは勝利は覚束無い。そんなことは当時の日本人の誰もが我々以上に知っていて当然だ。何故なら、彼等は戦争を行う当事者達だからだ。当事者と戦後に生まれた者との間には、想像を絶する意識の乖離があると思う。何故なら戦争には言葉で言い尽くせない凄惨な現実があるからだ。
子供でも大人でも、ちょっとした想像力を働かせれば、大東亜戦争が如何なる戦いだったのか?その物凄さに驚愕するはずだ。一体全体、日本は白人列強の何ヶ国相手に戦いを臨んだのか?
ドイツ・イタリアとの三国同盟は何ら日本に大きな助けをもたらさなかったのは事実だろう。そして日本もそんなものを頼りに火蓋を切ったのではない。一体先人達は、どれくらい大きな事を成し遂げたのか?成し遂げようとしたのか?
今の愚かな日本人には想像力も英知もなく、ただ敗戦を恨み自虐史観に埋没し、先人を敬うことなく己が醜い身勝手な主張を述べているだけだ。
そんな空前絶後の戦いに望んで「戦陣訓」は自分の行動を自ら律し、心を奮い立たせる糧でもあり、その当時の軍人・国民・ようするに大多数の日本人がそれを素直に当然のこととして受け入れた。私はそう信じている。
そして、それをサイパンでもテニアンでも、その他全ての戦場で実践した。これほど立派なことはない。サイパンの邦人たちの死も、「自殺」などと矮小化し、犬死にかのように今の日本人は言う者がいるが、「戦陣訓」を実践した自決であり戦死である。
いずれ日本が再生する時は、彼らの死は誇り有る行為として評価され、度々の苦難を乗り越えたどんな時代のご先祖にも優るとも劣らない高貴な日本人としての評価が定着するはずだ。そして未来永劫日本人の宝としてその精神は受け継がれて行く。
百年・二百年後の世界史で、日本が白人たちと戦った第二次世界大戦は有色人種の金字塔として世界を変えた。くだらぬ近隣三ヶ国は除いても、誰しもが評価せざるを得ない。そんな燦然と輝く世界史の一頁になることを確信している。
「戦陣訓」
http://www.cebc.jp/data/law/jp/senzen/senjin.htm

2010年2月3日、8:13:30
ハファダイ・ビーチ・ホテル
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2009.平成21年11月18日(水)
■サイパンへ行く
来年は、我が家に行事があり例年の5月頃の一人旅は難しいので、2月か3月頃にサイパンの戦跡を訪ねる旅にした。
短期間の旅で費用も掛からず・・・と言うのが一番の選択の理由だ。「サイパン島の玉砕」と漠然と知っていたが、ちょっと調べて見ただけでも、いつものように知らない事ばかりだった。
関係する本を地元の図書館の検索サイトで調べて、「サイパン肉弾戦」「南の島の悲劇」「語りつごう:アジア・太平洋戦争」を電話で頼んだ。その時、電話口の男性に「語りつごう・・と言うのは児童図書ですが・・・」と言われたが、それも借りたいと頼んだ。
案の定「語りつごう:アジア・太平洋戦争」という子供向けの本の内容は酷かった。
以下要約抜粋↓
『日本の軍隊の新兵を人間扱いしないしごきは、兵士を凶暴に育てて、その不満と凶暴性を敵に向けさせるのだ』
『こうして育てられた日本軍の兵隊は、世界最強の軍隊を作り上げましたが、同時に「南京の虐殺」のようなむごいことも平気でやれる軍隊にもしたのだ、と北村がわかったのは、戦争が終わって故郷へ帰り、労働組合の運動をするようになってからのことでした』
上記の一文が、この本の最後の二行として締めくくられている。
こんな内容の本が戦後50年経った1995年/平成7年に6名の編集者によって児童書として発行されている。南京のことについても新たな事実が次々と証明されているにも係わらず、それを無視しての一方的な内容には愕然とする。
それに「労働組合の活動をするようになってから・・・」という一文に唖然とするしかない。子供に労働組合こそが正義の味方であるかのような文言に、今の子供への教育が如何に歪んでいるかが分かる。
国土を削られ国民多数が犠牲になっても国は滅びないが、精神の崩壊は国を滅ぼすと言うのが良く分かる。一体今の日本人はどこまで先人を蔑み、日本悪しを子供に植え付けることを是としているのか、異常としか言いようが無い。

2010年2月3日、8:51:26
タポチョ山山頂に展示されている大場榮大尉以下47人の投降時の写真(昭和20年12月1日)
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2009.平成21年11月27日(金)
■ツアーを申込む
【アシアナ航空で行くお得なサイパン4日間♪♪】
★ハファダイビーチホテル●本館眺望指定なし▼送迎/シャトルバス乗り放題券付
サイパンなら安いだろうと思っていたが、中国旅行に比べると断然?高い。
日時を自由に選べるので一番安い時を選択して電話したが、「¥40,500円」は二人一組の価格で、一人なら¥61,100円、延泊1日¥14,000円で計75,100円。
その他、空港利用税:関空¥2,650円、サイパン¥1,000円、燃油サーチャージ ¥4,000。総計¥82,750円也
その他、サイパン周遊とテニアン一日観光、そしてレンタカーを1日借りたら・・・。
一体総額幾らになるのか?

2010年2月3日、10:55:52
今のサイパンは中国・韓国人の進出が凄い
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サイパンからグアムに移駐して、敵前逃亡をした卑怯者「横田正平」の書
2009.平成21年11月27日(金)
■一円の中古本
サイパンに関しての本を探していて「玉砕しなかった兵士の手記」というタイトルの本がアマゾンの中古書で「一円」とあった。送料¥340円で計¥341円で買った。
送られて来た本は定価¥1800円で帯も付いた立派な本である。新品は¥2,548円と言う値段もついていたりするが、何故?中古書は¥1円、その理由がすぐに分かった。
この著者:「横田正平」は全員突撃の前に米軍に投降した卑怯者であり、戦後、朝日新聞で支局長を歴任した人物だった。まだ最後まで読んでいないが、反軍反戦の名の下に世間で評価され大きな顔して生きてきたのだ。
その本が1円で恥ずかしくもなく売られている。これは日本の再生への兆しなのか?それとも他に意味があるのか?卑怯者として歴史に断罪されることを祈る。
まだ半分しか読んでいないが・・・。これが売国新聞:戦後の朝日新聞の実態だろう。
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2009.平成21年11月29日(日)
■一円の中古本:No2
全員突撃の前日、敵前逃亡し米軍に投降した卑怯者の手記を読み終えた。
この横田正平なる人物は、手記を家族にも見せず隠していたそうだ。亡くなる数ヶ月前に家族が書斎で見つけたのがこの本になった。彼は、「敵前逃亡」と言う行為を「純粋なもの、良心に恥じないもの」と言いながら・・・。
日本に帰還後も戦争の事は触れず話さず死に至った。そして、この手記も自分の行為を正当化する為に日本軍の愚かさ、上官の無能をつぶさに書き記している。横田兵長(上智大学新聞科卒)は逃亡に辺り、仲間を募った。自分と同じ大学卒のインテリで星野上等兵(大阪外大)である。
星野は逃亡に成功し捕虜になったあと、横田を敬遠し自らの卑怯な振る舞いに自責の念を募らせたようだ。しかし、横田はその手記の中に自責の念もなく、艱難辛苦を共にした戦友や上官の玉砕死のことには触れていない。
こんな卑怯者の本がこのように堂々と世に出て良いのか?
本人は社会から、どう思われても仕方がないが、この手記には逃亡兵である横田に散々無能呼ばわりされる上官が沢山登場する。実名であるならこんなことが許されるのか?
敵前逃亡の卑怯者に一言の反論も出来ず、戦死した上官、兵士の方々、そしてご遺族のお気持ちは心中察するにあまりある。仮名とは書いていない。
1988年に発行されている。彼が73歳で病没した二年後、昭和60年のことだ。誰がこんな手記を世に送り出したのか?横田は自業自得だが横田の一族、先祖も子孫もこれほどの痛恨の極みはないだろう。
横田が私の親族で無かったのが幸いだ。

2010年2月3日、15:09:40
アスリート飛行場傍に残る戦車のキャタピラ
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2010.平成22年1月7日(木)
■提督「角田覚治の沈黙」横森直行(著)
テニアンで戦死した悲運の猛将の生涯を身近に居た元部下が綴った本だ。横森氏もテニアンで玉砕戦を戦ったが生き延びている。
その中に驚くべき以下の記述があった。
152頁
『サイパン戦で自信を付けた米軍は、グアムとテニアンと同時に攻撃を開始した。テニアン上陸戦の準備は、例によって艦砲射撃と爆撃とを連続し、その抵抗組織を根こそぎ破壊して、サイパン戦よりも迅速かつ容易に占領しようとした。ところが、これに協力した日本陸軍誉四十三師団参謀・平櫛孝少佐がいたとは後に米軍将校から聞いたが、ただ彼が米軍サイパン上陸後、まもなく捕虜となったことは事実で、他の捕虜とは別扱いでピカピカの軍靴をはいていたのを見た目撃者は多くいる。
彼は一時は大本営の報道部員として国民に広く知られた人だけに特別の待遇をされ、米軍情報将校の話題になったことは信じられない事実だ。南洋興発の中島文彦氏の記録によれば、十九年六月八日、平櫛少佐は、誉四十三師団長:斉藤義次中将、備三十一軍参謀長:井桁敬二少将と、サイパンからテニアンに飛来し、玉砕戦の始まる三日前のテニアンの防備を完全に調査している。帝国陸軍にもひどい参謀がいたものだ。』
↑この記述に驚愕した。
平櫛孝元参謀は『サイパン肉弾戦』:玉砕戦から生還した参謀の証言という本の著者であり、その本によれば玉砕戦を最後まで戦い抜き、南雲中将・斉藤中将・井桁少将の三名が十九年七月七日の前日の六日に自決した現場に立ち会っている。
その時の模様も詳細に本に書かれている。そして平櫛参謀自身も翌七日の総攻撃に参加し、敵弾の炸裂により負傷、気が付いた時には米海軍艦艇のベッドであったそうだ。
あまりに違うこの双方の記述は驚きであり、一体真実はどうなのか?ネットで検索しても今のところ分からない。

2010年2月5日、8:57:32
セスナから写したテニアン
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2010.平成22年1月13日(水)
■「悲惨・テニアン島」伊藤孝治(著)
今日この本を読み終えた。
このテニアンも玉砕と言われていているが多くの兵士が生き延び戦争終結以後に洞窟から出て来て生還を果たしている。
この伊藤氏(本文中では村上)も関東軍の精鋭師団(第29師団)から満期除隊の11日前に南方行きの編成に加わった。そして昭和19年2月19日に満洲の遼陽を出発し、宇品を経由してグアム島を経てサイパンに着いたのは3月5日、その数日後にテニアンに上陸している。
それから米軍のサイパン上陸が6月15日で、サイパン玉砕七月七~九日。そしてその後にテニアンへの米軍上陸が七月24日、玉砕8月3日頃。関東軍が上陸後3~4ヶ月で米軍の上陸となる。
その間に、どれだけの準備が可能だったのか?あまりの準備不足に言葉も無い。マリアナ諸島が日本の生命線であるなら、何故もっと当初から堅固な要塞を築き兵を集め防衛強化を図らなかったのか・・・。
やはり南に伸ばしすぎた戦線拡大が敗因の最大の原因だと思う。十分に満を持し迎え撃つ体制をとれていた。攻撃は最大の防禦だが、あまりに間延びしては元も子もない。
満洲から転戦してきた精鋭部隊もほとんど米軍上陸部隊と交戦も叶わないまま敗残兵の如く落ち延びるしかない。村上兵長もそんな境遇の中、投降もせず准尉の下でまとまり本隊の玉砕後も洞窟で一年以上も生活した。
その間、何度も米軍の攻撃を受け洞窟の中に手榴弾を投げ込まれたり、重油を注がれ火を点けられたり、ガス攻撃を受けたり、洞窟出口で執拗に待ち伏せをされ仲間を何人も失いながら、諦めず生き抜いた。そして最後には食糧逼迫し投降を決意し、准尉を先頭に白旗を掲げ出て行った。
米軍に収容されたその日は昭和20年8月18日だったそうだ。その時も彼らのグループの内、投降を拒否した二人が洞窟に残っている。その他も彼方此方でまだ生き延びている日本軍兵士がいたようだ。
サイパン・テニアン・グアム玉砕というのは知っていたが、こんなにも多くの日本軍兵士が玉砕とされて以降も当地で生き残っていたことは知らなかった。グアムで横井さんが終戦27年後の1972年に日本帰国したのも頷ける。
どこかしこでも多くの日本軍兵士は生き延びていた。あんな小さなテニアン島でさえも・・・沢山のグループが洞窟に潜んで生きていた。
この本はその洞窟での生活模様が詳しく書かれているので当時の状況が良く分かった。在留邦人との共生も書かれてある。究極のサバイバル生活だが、見事なまでに統率がとれ協力し合って生きている。これも日本人の美徳と誇れる。兵士はそのほとんどが20代である。
「日本軍兵士良く戦えり」
その敢闘精神は子々孫々に勇気と誇りを与えてくれる。感謝しかしない。

2010年2月3日、16:03:20
アギガン岬にて
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2010.平成22年1月16日(土)
■サイパン玉砕
「サイパン特派員の見た玉砕島」高橋義樹(著)を読んだが、昭和19年3月ころでもまだサイパンはのんびりしていた。笑い話のような話がゴロゴロしている。
日露戦争時代の砲台砲があり、急遽作った飛行場も使い物にならないものだったり・・・と。島内の要塞化などほど遠くである。その三ヵ月後に米軍は上陸し玉砕する。
知れば知るほど海軍の無策が分かる。そして陸海軍との連係の悪さは同じ国の軍隊とは思えない。別々の軍隊が違う目的と意識、情報によってなどでは、米軍とまともに戦える訳がない。
戦略戦術によっては、本当は十分に勝てる、いやあんなに簡単に負けるはずがない日本帝国陸海軍の中味があったのに。残念無念なり。

2010年2月5日、16:34:54
アスリート飛行場からタポチョ山を写す
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2010.平成22年1月29日(金)
■サイパンへの旅を前にして思うこと
タッポーチョ「敵ながら天晴れ」大場隊の勇戦512日:ドン・ジョーンズ(著)
サイパンで戦った米軍海兵隊員だった方が書いた本が日本で翻訳されている。タッポーチョというのはサイパン島の最高峰(473m)の山の名前だ。
大場榮大尉は昭和19年7月7日の万歳突撃の後も生き延び、戦友と共にタッポーチョ山周辺を根城に米軍の掃戦から逃れ、時には戦い昭和20年12月1日までサイパンで同士47人と共に帝国軍人として生き抜いた。
最後も天羽少将の命令書によって山を降りることを決意し、彼らの戦いの幕は終戦の三ヵ月半後にやっと終わりを告げた。日章旗を掲げ、身だしなみを整え「歩兵の本領」を歌いながら行進し、米軍兵士の居並ぶ所に向ったそうだ。
元海兵隊兵士の著者である「ドン・ジョーンズ」の、以下↓のあとがきは日本人として大いに考えさせる一文である。
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『私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
これを書く前に、私は、そういう年代の人たちに、戦争についてどういうことか知ってるか尋ねて、個人的に調べてみました。ほとんどの人たちは、私は何も知らないとか、日本が敗けたことを知っているというだけでした。もっと重要なことは、多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。
そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
私はここで、一人の日本の兵士のことを書きました。大場大尉は、どんな国でも誇りに思うに違いない人です。しかし、彼は、そういう大勢の人たちの一人に過ぎません。
この小説が、ほかの作家たちがほかのヒーローの物語を書くのを刺激することになるのが、私の望みです。そうなれば、事実によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
そして、それは、日本の歴史のこれまで書かれていないページを埋めることになるでしょう。そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。
それが、私がもっとも強く持っている願いです。
1982年11月 ドン・ジョーンズ』
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敵ながら良くぞ書いて下さったと感謝しかない。
彼が言うように大場大尉はあの戦争を通じて輩出された大勢のヒーローの一人にしか過ぎない。日本は先の大戦において世界中で誇れる英雄を無尽蔵とも言えるくらい生み出したと私は思っている。
到底、今の日本人にも将来の日本人にも覚束無い立派な日本人が、その一時期に山ほど存在したのは確かだ。テニアンにも同じような物語がある。サイパンでもまだまだ沢山の事実として英雄が存在した。戦場の至るところ全てにある。
私に言わせれば、先の大戦は東洋の小さな島国、有色人種国家の日本が、白人列強相手に一対多数で戦ったのだ。世界史上未曾有とも言える戦いである。大儀の下に・・・。それは、白人からの独立でもあった。
残念ながら日本が戦いに敗れ、未だ世界は白人国家が席巻するといっても過言ではないかも知れないが、あの戦いが無ければと思うと、誰しも今とは違った状況を想像することくらい出来るだろう。
我大東亜戦争を賛美して止まない。良くぞ戦ってくれた。戦後に生き延びて反戦反軍を語る元兵士は卑怯者であり日本人の恥さらしだ。戦後生まれで、先の戦争と大日本帝国を非難する日本人は性根の腐った日本人だ。
今の国家でも日本社会でも拉致被害者のことを忘れたかのように放置している。そんな卑怯者で性根の腐っているのが今の日本人であり、日本国であるのは間違いない。みんな腐ってしまった。生活保護を弱者の権利とばかりに思うくらい・・・恥を無くした。つまらん。

マッピ山
スーサイドクリフ
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2010.平成22年1月31日(日)
■未だ準備不足のまま
サイパン・テニアンの旅、正味三日間だが、決まっているのはテニアン日帰りの旅だけだ。初日は、私が行きたいオプショナルツアーは2名に満たず成立しない。二人分の費用を出せば良いけれど・・・。
タポチョ山の山頂にはどうしても登りたい。行って見ないと分からないから、行ってから決める。天気も分からないし。
「Mt.Takpochao」は「タポチョ山」「タッポーチョ山」「タッポチョ山」などなど様々に書かれているが、今のガイドブックなどはタポチョ山と書かれているので、今の所、そう書くとする。現地の人がどんな発音で話すのかを聞いてみたい・・・。
又動画を撮ろう、自作自演の映画のつもりで語りを入れて・・・。でも、その準備も出来ぬままぶっつけ本番で。今一集中力なし。
サイパン・テニアンはペリリューなどと比べても準備不足のまま米軍上陸を迎えてしまった。日本は先にパラオ・フィリピン方面に米軍が来ると想定していたから・・・。関東軍精鋭たちの悔しさを思う。
何が何だか分からぬ内に、戦闘が始まり、何も出来ないまま押されに押されて突撃を繰り返し指揮官・上官・戦友たちを失った。そして随所で、バラバラの兵士たちが孤立し取り残された。それでも大方は投降せず過酷な戦場で生き抜いた。
良くぞ戦い抜いた。帝国陸海軍兵士たち、子々孫々未来永劫の誇りなり。万感の敬意を表す。

2010年2月4日、9:42:14
ラスト・コマンド・ポストにある日本政府建立の慰霊碑
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2010.平成22年2月1日(月)
■明日の夕刻サイパンへ出発
今回の旅は諸般の事情により集中力に欠け、そのための準備不足で、とりあえず行くという旅になった。
でもそれでもしぶとい私は、やはり「タポチョ山」と「戦跡案内」のオプショナルツアーに二人分の料金を払って申し込んだ。まあ、ツアーが成立したことによって、急遽私以外の一人の参加者が出れば、半額になる期待を持って・・・。
自分のケチ臭さがしみじみ分かる・・・けど、最後は一人でも申し込んだ。次回行くこともないだろうし、二人分といっても3時間:半日コースが二つで、1万円が2万円になる程度のものだけど(泣)これでもギリギリまで申し込めない貧乏人根性の情けなさか。
日本では明日、真の日本人足らんとする者達が日本再建の為に東京の日比谷公園に集う大イベントが開催される。
「頑張れ日本!全国行動委員会」
その場に集った多くの日本人と一緒に「天皇陛下万歳!」を唱和したかった。きっと胸が一杯になる・・・今、思うだけでもそうだから。
平成の「草莽堀起」:そんな歴史的な日に立ち会いたかった・・・が。
あの腐った鳩山は「いのちを守る」と、散々喚いたそうだが、「いのちより大切な物を、我が命に代えても守る」のが日本人の真骨頂だ。
命・命・と命を強調すればするほど、命を守る為には何をしても許されると言う恥を知らぬ性根が幅を利かせ、道徳や道義は霧散する。
あんな奴が首相とは、ホンマ醜い日本と日本人になったものだ。
命が大切なのではない、命より大切なものが日本人には山ほどあるはずだ。その第一は「恥」だ。「恥を知る」心だ。それが無い奴の命など、世に害毒をもたらすだけだ。恥を知れ!

2010年2月4日、15:07:50
日本時代の病院跡(北マリアナ博物館)の展示品
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旅を前に読んだ本
■以下の本を読み、ネットでその他の情報を得た。
「サイパン肉弾戦」平櫛孝(著)
「南の島の悲劇」石上正夫(著)
「語りつごう:アジア・太平洋戦争」
「サイパン特派員の見た玉砕島」高橋義樹(著)
「悲惨・テニアン島」伊藤孝治(著)
提督「角田覚治の沈黙」横森直行(著)
タッポーチョ「敵ながら天晴れ」大場隊の勇戦512日:ドン・ジョーンズ(著)
「玉砕しなかった兵士の手記」横田正平
「サイパン戦車戦」下田四郎(著)


18:13:38
三ノ宮
餃子も食って一段落
阪急高架沿いを歩き、バスの時間を待つ
今日もお仕事ご苦労さんです
この時間に帰る方は仕事が暇な人だろうけど

18:17:24
三ノ宮
6時20分発のバスの車中にて
これが関空への道であり、海外への道だ
いつまでこのバスに乗り海外旅行へ行けるのだろう
世界の変遷・日本の変遷、そして我が家、私は?

19:21:00
1時間で到着
騒がしさもなく
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■関空からイザ出発
1時間後の7時20分に関空に着いた。空港内は平日の午後7時過ぎ、それなりに閑散とした風景だった。
此処にきて航空券を引き換えて初めてアシアナ航空が韓国の飛行機会社だと知った。そして、それでも9時20分頃の搭乗時間にはまだ2時間近くあり、それまでどうしようと思いながらテレビを見たらサッカーの日本代表戦vsベネズエラ戦がやっていた。早速テレビの前の椅子に座って観戦。これ以上ない待ち時間になるはずだった。
ところが荷物をもう一度確認していた時に、あらぬことに気がついた。リュックから出てきた書類の一つにレンタカーの予約書が目に入った。その瞬間背中に寒気を感じた。「万事休す!」免許証を持ってきていない。慣れた筈の海外旅行でいつものようにチェックしたが、免許証を持って行くのは今回初めて。
確認の欄に免許証が書いていなかった。サイパンのたった三日の旅行で2月4日は一日レンタカーを借りて島を散策しながらデジカメ動画を撮るという、私の気持ちの中ではそれが旅のメーンテーマでもあった。頭を巡らせたが、とにかく、家に電話をし家内に電車とバスを乗り継いで持って来てくれるように依頼した。
その時は、ゆっくり考える間もなく家内に早くこっちに向かってくれるようにだったが、少し冷静になって三ノ宮発のバスの時間と、出国手続きをして搭乗ゲート前にいる時間とを考えたら、三ノ宮8時(発)のリムジンバスに乗って、9時頃に関空に着かないと無理だと分かった。
そこで急遽家内に電話した。「今どこや?」「今、西明石の駅、もうすぐの快速に乗れる」・・・その時の時間はすでに8時45分くらい。三ノ宮8時発は到底無理だ。まだ電車に乗っていなかったのが幸いだった。
免許証は諦めるしかなかった。でも何とか可能性を残しておきたいと、FAXで免許証のコピーをホテルに送ってもらうことを考えた。長男に頼んで翌日会社から送ってもらうことにした。
一番の楽しみでもあったレンタカーでの一日、何とかコピーで粘ってみよう。そして一段落して、テレビのサッカーに見入っていたが。日本代表の攻撃の迫力のなさに「こんなサッカーしてたら相手も怖さを感じないし、おもろくない」客が入らないのも無理ないとイライラして見ていた。
私の期待の平山を後半投入すれど点にも結びつかず、詰まらん試合は引き分けで終了。その時には9時も過ぎ、待ち時間もすっかりなくなり、すぐにも出国手続きにと急いだ。さすが常夏のサイパン行きは若者が溢れていた。そして高齢者の姿には、慰霊の旅なのか?と思ったり・・・。

19:22:06
夜の空港は待ち時間なく便利です
アシアナ航空は韓国の会社です
みんな知ってるけど、私は知らなかった

21:20:52
搭乗口は若者の熱気と、ととと、年寄りもいました
みんな元気で遊んでいます

22:53:20
ふ~ん、アシアナ航空の飛行機はなかなかましやな
三座席一人占め、ビジネスクラスもこれでは真っ青
ハハハ、日頃の行いが物を言う・・・のか
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■綺麗な飛行機でした
機内に入る時に朝青龍引退を報じるスポーツ新聞が目に入り早速その新聞を手にとって座席に向かった。アシアナ航空の飛行機は中国南方航空の飛行機より綺麗だった。真ん中三座席・両サイドに二座席、一列に7人がけの飛行機だった。私の席は17C。真ん中三座席の左の通路側で三座席とも私の貸切だった。
乗客はほとんど日本人だろう。こんな時間に日本から出発する便だから当然といえば当然だろうが。搭乗ゲートでは沢山いたように思ったが、飛行機が大きいのか、7割がたの乗客だった。
ほぼ定刻の9時50分くらいに離陸。一路サイパンに向かう。
離陸後50分後の日本時間午後10時40分、サイパン時間午後11時40分頃に夜食が出た。メニューは「ビーフorうなぎ丼」。「へえ~、うな丼」と思いながらうなぎ丼を頼んだ。やはり夜食なので量は少なかったが、それでも餃子二人前とモヤシ炒めを食っている私には多すぎた。
「朝青龍引退」に思う
相撲協会のあまりの稚拙さが招いたお粗末な結果だと思っている。誰が一番悪いのか?一に相撲協会・二に高砂親方・三に朝青龍・四にメディア。そして日本国と日本人すべてに今回の責任はある。
相撲は日本の文化であり国技である。開かれたプロスポーツ競技にするのか?それとも伝統文化を守るのか?いや、そのどちらも目指すならば、それなりの組織の方針と、諸問題を想定しての確固とした一貫した対応が必須である。
相撲協会は馬鹿の集まりで協会として何も出来なかった。力士を育てることの出来ない相撲部屋と親方の集まりで相撲協会を成していた。そして日本人力士の低調さが加わり外人力士の格闘技になった。朝青龍には手本なく、強いライバルもなく、稽古しなくても勝てる時期が続いた。そしてあまりに無能な高砂親方の下で、朝青龍も堕落した。
それでも強かったから人気があった。全てが総合して負のスパイラルになり、今回の結果を招いた。朝青龍もボクシングの亀田兄弟もそうだが、つまらぬ日本国とつまらぬ日本人がつまらぬ奴等を次々生み出していく。今の日本には立派な日本人がいない。手本・見本がいない。故に自ら学ぶことも出来ない。
相撲協会も民主党政治も日本人も日本国も、みんな同じムジナだ。どこまで落ちて行けば、自らの非に気づき良き伝統文化を取り戻そうと道を正すのか?それとも・・・。
うな丼を三分の一くらい食って、あとはしばしの仮眠となる。もう機内で2月3日になろうしている。すぐに常夏のサイパン到着だろう。